太陽への攻撃

七つの大罪は人類の友。

近況20171025

一年間音沙汰なしで何してたんだという話だが、ちょいとまとめてみる。

1.今年、1月1日から会社を変えて、外資系のIT企業に転職した。

2.研修やらプロジェクトやらでバタバタしていた。

3.PG言語やら技術を獲得するのに忙しかった。

4.本はあまり読めていない。

 

という感じだ。

給料は確実に上がったし、周囲の人たちも優秀な人たちばかりだから毎日やりがいをもって過ごせている。しかし個人的に何か生産しているわけではないので、このブログもできるだけ更新を重ねていきたい。何かを生産することは心身にいいんだよ。

 

更新する内容は

1.本のこと

2.ITのこと

3.日常で起こったこと

4.その他興味のある様々な分野(金、暴力、S〇X)

 

になるだろう(4番目はいったいなんだ)。

誰が見ているわけでもなく、ただ淡々とブログを中心に日常で起こったことや考えたことを書いていきたい。

「器の大きさ」について

 あの人は「器の大きな人だ」と聞くと、

「細かいことを気にしない人」という意味合いが強く響いてくると思うのだが、私が思うに、この定義はちょいと不十分な気がする。

 

最近、息抜きに『新装版 ロードス島戦記』を1巻から7巻まで通して読んでみたんだが(再読)、各国の王と、主人公のパーンの考え方がいい対比になっていて、そこではたと気づいたわけだ。

 

 

 

主人公のパーンはこういってよければ草の根主義で、「一人でも多くの人を助けたい、王になれば見捨てなければならない人が出てくる、自分はそういう生き方には共感できない」という思想の持主。

 

当然ながら王の身としては、すべての人を救うのは実質的に無理で、選択肢の中で多くの人を救うことになる手立てを確実に打っていく、という考えになるだろう。

 

ここから考えるに、「王の器」とは、

「大きい目的のためなら、小さな犠牲には目をつぶる」という考え方ができる人なのだと考える。

 

「戦争に勝つ、国を守る」という大きな目的のためなら、

「兵士が戦争で死ぬ」という小さな犠牲には目をつぶらねばならない。

 

王の視点は広く、下々の視点は狭い。

社長が世界経済とか日本経済とか業界の動向とかを見極めて会社の舵取りをしている中、平社員たちは目の前の仕事を確実にこなしていく。最大の利益を得て会社を発展させていくという大きな目的のために、小さなトラブルには目をつぶるか、下の者に任せて解決させる。

 

 

器の広さというのもこの考え方で理解すべきではないかと考える。

ある大きな目的のために、小さなトラブルや不愉快なことには目をつぶり、最後には目的を達成すればよい、と考えることのできる人、こういう人が「器の大きな人」になるのではないか。

 

女の子とデートするとして、「今日一日を彼女と楽しく過ごす、最後には二人とも笑顔で今日一日を終える」という目的を掲げたら、彼女の化粧が崩れていても、食べ方がなっていなくても、一緒に見た映画がいまいちでも、自分に合わない意見を彼女が言ったとしても、「今日一日を彼女と楽しく過ごす」という目的に比しては小さなことであり、そんなことは笑って許してやればいいだけのことだと思うことができる。

 

逆に器の小さい人は、「やたら細かいことに意識を取られ、結局何がしたかったのかがよくわからないまま終わった」という人のことを言うのだろう。

 

朝目覚めたときに、「今日一日笑顔で終える」と自分に宣言したら、日常の些細な出来事にも寛容の気持ちで接することができると思うのだがいかがか。

 

 

「大きな目的のためなら多少の犠牲は仕方ない」を、

「私の達成したい野望のためなら他人を多少犠牲にしても仕方ない」と読み替えてもいいかもしれない。大丈夫、受験ってまさにこれだから。

 

器の大きな人って、大きな目的を持つ視点の広い人のことかもしれないね。

 

 

 

専門分野

 誰がやっても同じ結果が出て、かつ誰でもやれるお仕事って、価格のダンピングが起こって給与が下がるっていう現象がある。

 私が思うにITの世界でこの傾向が顕著ではないかと思うんだがどうなのだろうか?(というか私はITの世界しか知らないし、ITの世界だってまだろくにわからないのだが)

 

 プログラミングは、論理さえ組んでしまえば誰がプログラムを書いても同じだし、機能が止まってしまうなどのよほどの欠陥がない限り、どこの会社、個人に頼んでも同じようなものができるだろう。だから往々にして価格競争になる。

 

Javaとか、C言語とか、いわゆるメジャーな言語は扱える人が多いから給与で差がつくなんてあまり起こらないし、だから普通にのほほんとプログラマやってても高給を期待することはできなさそうなんだよね。自分で会社を建てるなら別だけど。

 

私が思うに、プログラムで高給を得るためには3つの道があると考える。

 

1.上流工程を担当する一流大企業に入る。

2.プログラミングは機能を実現するただの手段と割り切って、金融や物流などの専門知識を持ち、提案ができるまでの高度な人材になる。

3.統計や人工知能など、高度数学をバックグラウンドに持つプログラミングを専門にする。

 

 まず1だが、これはまあ、だれでも考えることだと思う。高収益企業に入社すれば、実力はいまいちでも収入は期待できる。下請け企業のプログラマのほうが高い技術を持ってて、プロジェクトを管理する上流工程の人たちはろくにプログラミングができない、なんていう話もよく聞くことだし。だけど新卒ならともかく、特に強みもない人材が大企業に入れるもんなんなんかね?転職活動して全滅したからよくわからん。

 

次に2だが、例えば、「専門は金融で、手段はJavaです」、というようなもの。新たな金融サービスを金融機関に提案できるような尖った専門知識を持つことが課題となる。だが高給となると、よくわからない。少なくとも専門分野を持たないよりかはマシ、という程度だろうか。

 

最後に3だが、「誰でもできる、誰がやっても同じ結果」だから価格のダンピングが起こるのであって、他の追随を許さないような条件が別にあれば話が違うと思う。例えばRのような統計処理を専門にするプログラミング言語は、当たり前だがそもそも統計ができないとあまり意味がない。簡単なグラフを作るのであればできるかもしれないが、それだとExcelで作ればいいわけで、Rを出してこないといけないような処理は往々にして数学が自分のバックグラウンドにないと実現できないといえるのではないか。

 

同じことだが人工知能人工知能って、あれは高度数学ができないと無理っしょ。だから人材の代替がかなり難しく、いまでは軽く1000万を超える年収を提示されたとかでニュースになるわけで。労働市場から引っ張ってこれない貴重な人材は高給で雇われますわな。

 

 

俺は、なるべく高給な会社に入ることを目指したい。Rや人工知能も魅力的だがいまから高度数学を学ぶなど、いったいどれだけの時間がかかるのか、また、結果が出せるのか分かったものではないから、というのが理由。本当はやりたいんだけどね。ビッグデータ人工知能を使って株式の自動発注アプリとか作ってみたいよ。

 

高給を目指すなら、(大企業を目指すにしても)貴重な人材にならねばならない。貴重な金(きん)が高値で取引されて、ありふれている鉄が安い値段で取引される。労働市場も同じだ。なかなか代替がきかない人材になるためにはどういう戦略で行くか、そのためにどこに労力を投入するかを早々に決めなければ、きっと一生貧乏のまま終わってしまうだろう。

武器をもって金を稼ごう

当たり前の話なんだけど、人生には限りがあって、また働ける機関にはやはり限りがあって、そのなかで多額の金を稼ぐには、やっぱりある一つの専門分野に特化して、それを武器に世界を目指す方向が一番確実で手っ取り早いものだと考えている。

 

投資もいいんだけど、投資は元手がない人がどれだけ頑張ったところで得られる利益はたかが知れているし、100戦100勝なんて非現実的すぎる。

 

会社で働くにしても、この分野ではだれにも負けないという専門分野があれば、それを求めている会社に入れば重宝されるだろうし、給料の面でも貧乏をするようなことはあるまい。

 

悲しいかな、小さい時から様々なことに興味を持ってきた俺は、別段飽きっぽい性格というわけではないんだが、興味が分散する癖があって、だからいろんなことを経験していても、これだけは負けないという武器を持っていない。

 

だが、これからはそうもいかない。俺は稼がなければならない。多くの金を。億を数える金を稼がねばならない。根性には自信がある。自分への投資も一切惜しまない。

 

闘わねばならない。

バイタリティのない男

男の甲斐性とか、上昇志向とか、バイタリティとか、いろんな言い方があると思うけど、より良い自分を目指そうとしない人と一緒にいると、退屈というか、これから10年20年たってもおんなじことを言い続けるんだろうな~と思う人と一緒にいたくないと本気で考えてる。

別に僕が「意識高い系」とかというわけではなく、大体そういう人達っていっつも愚痴を言うんだよね。自分で何とかしようという気もなく、他人が今の自分の現状を変えてくれないことに不平不満を持つという歪んだ感情を持っていることが多い。

 

すぐに疲れた、とかもうだめだ、とか言う、そんな人達。勉強するわけでもなく、自分を磨くわけでもない。ただただ愚痴だけ言って酒飲んで寝る人達。

 

こういう人たちとは早い段階で離れないと、なんだろう、運とか、全部持っていかれそう。何の進歩もない人たちのもとに幸運の風など吹かないだろうから。

ちょっとでも稼がないと。

2015年4月から新卒として会社に就職することが決定しているんだけど、どうも売上やら親会社の意向やらで会社内が結構ごたごたしているというか、離職者が最近多いみたいなんだよね。

 

何の業界かは言わないけど、その業界全体の売り上げが落ちていて、そのあおりを受けてその会社の売り上げも芳しくないらしい。それが給料にも響いていて、この会社にいても将来が不安だ、っていう理由もあるらしい。

 

私は大学院を経由して入社することになるんだけど、学部卒の新入社員よりもずいぶん年齢が高い状態で入社することになる。だから就職活動とか相当大変だったんだけど、なんとか決まった会社だから、その旨感謝しているし、入社したら頑張ろうっていう気分にもなっている。入社前にいろいろと勉強もしている。

 

しかしこれ以上年齢も上がっていって年収が低いというのも相当不安がある。少しでも稼がないといけないってことになるんだけど、会社の給料が低いのであれば別に収入源がなければいつまでたっても貧乏のまま。

 

だからネット株を申し込むことにした。FXとか先物とかはなんか怖いから手を出さないようにするけど、株であれば会社がつぶれるとか損切さえしなければその二つよりは安全だと考えた。生活に支障をきたす金額は投資しないようにする。

 

ってことは当然投資金額も微々たるものにとどまることから、利益が出てもそれも微々たるものになるわけだけど、それでも何も行動を起こさないよりはましだと思う。

 

前の記事に書いたけど、リスクを負う生き方をしなければ、いつまでたっても自分の好きな生き方ができない。それだけは避けたい。死んでも避けたい。

リスクを背負う生き方がしたい

明石家さんま」さんが「生きてるだけで丸儲け」っていう言葉を言ったけれど、まったくもってその通りだと思う。

 

さんまさんがどういう意図でこの言葉を使ったのかは知らない。どういう心境でこの言葉を使ったのかも知らない。しかし自分なりにこの言葉を解釈して使うのは自由のはずだ。

 

私は人生には生きる意味は特にないと思う。何も知らずに生まれてきた我々はこの人生に決まりきった意味を見出すのは宗教家くらいしか可能ではなかろう。そしてその宗教家でも、人の生きる意味を証明することは絶対不可能なのだ。

 

しかしだからと言って完全な虚無主義に陥るのもなんかもったいないような気もする。死後の世界があるかないかは知らないけど、それこそ「生きているだけで丸儲け」なのだから、死んでもとくに損するわけではない。思いっきり生きていきたい。人生の目的や意味がない、正確にはわからないし知りようもないわけなのだから、自分で勝手に生きる意味や目的を設定するしかないし、それでよいと考える。

 

ところで、自分にとって良い、と思える人生を歩むなら、それ相応のリスクは当然ながら伴うことになる。金持ちになりたいなら破産のリスクがあるし、女が欲しいならフラれて心が傷つくリスクもある。何もせずにゆったりと暮らしたいならあまりリスクはないだろうが、食っていくお金を稼ぐにあたって少ないながらもリスクはあるだろう。他人が成し遂げられないことを成し遂げようとする理想を描けば、もちろんリスクも大きなものになるだろう。悪評とか妬みとかとも戦わねばならない。

 

成功したいなら、リスクを負わねばならない。負けても諦めなければいいし、死んでもともと。命を大切にする生き方を道徳家は声高に叫ぶが、命は大切にするものではない。命は捨てるものだ。少なくとも捨てる覚悟で「賭ける」ものだ。

 

および腰にならず、勇気をもって、真剣で切り結ぶ覚悟を持たないと成功しないし、そうでこそ成功した時に、筆舌に尽くしがたい最高の快楽が得られるものだと思う。

 

女性を口説くときも、告白するときも、ダメでも失うものはないし、リスクを背負い、勇気をもって口説いたり告白したことを讃える、そういう生き方をしてみたい。