太陽への攻撃

七つの大罪は人類の友。

リスクを背負う生き方がしたい

明石家さんま」さんが「生きてるだけで丸儲け」っていう言葉を言ったけれど、まったくもってその通りだと思う。

 

さんまさんがどういう意図でこの言葉を使ったのかは知らない。どういう心境でこの言葉を使ったのかも知らない。しかし自分なりにこの言葉を解釈して使うのは自由のはずだ。

 

私は人生には生きる意味は特にないと思う。何も知らずに生まれてきた我々はこの人生に決まりきった意味を見出すのは宗教家くらいしか可能ではなかろう。そしてその宗教家でも、人の生きる意味を証明することは絶対不可能なのだ。

 

しかしだからと言って完全な虚無主義に陥るのもなんかもったいないような気もする。死後の世界があるかないかは知らないけど、それこそ「生きているだけで丸儲け」なのだから、死んでもとくに損するわけではない。思いっきり生きていきたい。人生の目的や意味がない、正確にはわからないし知りようもないわけなのだから、自分で勝手に生きる意味や目的を設定するしかないし、それでよいと考える。

 

ところで、自分にとって良い、と思える人生を歩むなら、それ相応のリスクは当然ながら伴うことになる。金持ちになりたいなら破産のリスクがあるし、女が欲しいならフラれて心が傷つくリスクもある。何もせずにゆったりと暮らしたいならあまりリスクはないだろうが、食っていくお金を稼ぐにあたって少ないながらもリスクはあるだろう。他人が成し遂げられないことを成し遂げようとする理想を描けば、もちろんリスクも大きなものになるだろう。悪評とか妬みとかとも戦わねばならない。

 

成功したいなら、リスクを負わねばならない。負けても諦めなければいいし、死んでもともと。命を大切にする生き方を道徳家は声高に叫ぶが、命は大切にするものではない。命は捨てるものだ。少なくとも捨てる覚悟で「賭ける」ものだ。

 

および腰にならず、勇気をもって、真剣で切り結ぶ覚悟を持たないと成功しないし、そうでこそ成功した時に、筆舌に尽くしがたい最高の快楽が得られるものだと思う。

 

女性を口説くときも、告白するときも、ダメでも失うものはないし、リスクを背負い、勇気をもって口説いたり告白したことを讃える、そういう生き方をしてみたい。

新刊(新品)と古本

今日も今日とて駅ビルの中に入っている本屋で可愛い表紙をした文庫本を見つけて、「表紙に惹かれて」買おうとしたんだけど、やっぱりやめた。

 

文庫一冊700円程度、ちりも積もればということで、何冊も買うと高くつく。そしてここが重要なんだけど、「この程度の内容の本ならほかにいくらでもある」ということ。

 

表紙が可愛いから、そばにおいていたいんだけど、それだったら絵師さんの画集を買えば話が早い(出版されればの話だが)。画集は単行本一冊くらい、あるいはそれ以上の値段はするが、表紙に引かれて買うのであれば文庫本を何冊も買うよりずっと安くなる。

 

そして、純粋に読書を楽しみたいという人なら話は別だが、後々にまで「その本なら読んだということが武器になる」、そういう読書スタイルを持つ人にとってはありきたりの内容の本なら買わず、もっと有名どころの作者、あるいはずっと使える知識が得られる本を買うことになる。

 

だいたい、こういう風に、綺麗な表紙の本ならたくさん売れる傾向があるから(だから出版社は売れる絵師さんに表紙を描いてもらいたがる)、その分、古本で出回る確率も高くなる。古本なら安くて200円~300円で手に入ることもある。

 

興味はあるけど新刊(新品)で買うまでの本ではない、という意識になれば、当然古本が出るのを待つことになる。古本を買っても出版社や著者に利益は入らず、ますます出版業界は衰弱していく。

 

新刊を必要としているのはざっと数え上げたら、主に

①その作品、あるいは作者のファンであり、新品で買うことが両者に対して誠実な態度であるという意識があること

②新刊で買うと何かお得な特典が付いてくること(おまけ、特典ねらい)

③皆が読んでおり、情報に遅れたくないこと

④古本に対する忌避感(汚れ、シミ、不潔ではないのかという意識)

⑤古本で出回ってはいるが新品とあまり差のない価格であり、同じ価格ならば新品のほうがいいという意識

⑥古本が出回っているということを知らない状況であること、あるいは古本として出回っていることは知っていても、買える手段がないこと。

 

こんな感じでまとめられるだろう。

書店はなにかと厳しい状況だから、本に内容に関するポップを貼って興味を持たせたり、〇〇フェアとかを開催して、「〇〇関係の本を集めてみました」といった催しをやっている。そうはいっても、古本が簡単に手に入るこの状況が一番の問題であって、その解決にはなっていない。本の名前だけ暗記して、家に帰って古本で注文する人もいる。私もそう。同じ本なら安い方がいいからだ。

 

読書をする人が減っているのも問題だと思うが、読書をする人たち(本屋にとってのターゲット、購買層)が古本に流れていくこの状況を打破せねばならない。

 

 

さて、アマゾンのマーケットプライスで狙っていたあの古本、安く売られているかな…?

『中世哲学への招待―「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために』

平凡社新書八木雄二氏著。

ドゥンス・スコットゥスの哲学を中心に、近代を準備した中世哲学について論じている。

 

まず中世哲学は、当然であるが、古代ギリシア哲学と近代哲学との中間に位置するがその両者といかなる関係を持っているのかが、中世哲学を学んでいないものでも解りやすく書かれている。中世のヨーロッパは暗黒時代といわれ、キリスト教会による抑圧が吹き荒れた時期でもあり、歴史的にもよくわかっていないことが多い時代と聞くが、それでも著者によって中世の風景が想像しやすいように、具体的に描かれている。

 

また、我々日本人は大学といえば政府が建てたりする教育機関だという印象が強いと思うが、ヨーロッパでは自由闊達な議論、インテリがいて様々な議論や論争がなされ、知的興味を持った若者が集まるようになり、子弟や団体ができていったことが大学誕生の基礎という。

 

さらに、普遍論争、神の存在証明、キリスト教神学が科学を生み出したこと、なぜキリスト教プラトン哲学と親和性があったか、そしてなぜ教会は学者が学生にアリストテレス哲学を大学で教えることに危機感を持ったのか。

 

キリスト教が社会紐帯として機能していたこと、日本人とヨーロッパ人では「自由」と「道徳」との考え方が違うこと、等々、現代の私たちにまで役に立つような記述も多い。中世哲学を学ぶものだけでなくヨーロッパ人とビジネスする人たちも読んでためになると感じる。

 

中世哲学は近代哲学や古代哲学と比べてみても日本語で読める著作の少なさからか、あるいは中世哲学=神学と考え興味を持つ人が少ないとか、そうであるからこそ著作が自然と高価になったりするためか、とにかく触れる機会が少ない現状である。

 

しかし昨今、中世哲学に関してわかりやすく解説してくれる本がちらほら出てきた。文庫でも新書でも、なるべく安く、手軽に学ぶことができることは幸いなことである。この本もそれに貢献してくれている本だといえる。

 

 

 

 

大好きな人と新宿の喫茶店へ

昨日20日は、私のとても大切な女性と、新宿でお茶をしました。

たまたま新宿で待ち合わせをすることになりまして(もともと待ち合わせをしていたのは神保町)、喫茶店に入ろうということになりました。

 

彼女と会うのは実に2年ぶり。とても胸がドキドキして前日の夜は眠ることができませんでした。遠足前の幼稚園児のようです。

 

行った喫茶店は新宿アルタ近くにあるお店、珈琲凡さんです。

 

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駅から近いこともあってか、珈琲も一杯千円を超えるくらい価格が高いですが、その立地もあり、またその味もあってか、お店はかなり混んでおりました。

 

私は基本的に喫茶店ではアイスコーヒーしか頼まないので、今回もアイスコーヒーを頼みました。そして出てきたのがこんなアイスコーヒー。

 

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お椀に入っているところを見ると茶道のお茶みたいですが、中はアイスコーヒーです。最初はスプーンでちょこちょこ啜っていたのですが、絶対、飲み方違うだろうと思い、お椀をもってグイっと飲むことにしました。

 

混んではいましたが、純喫茶のようなお洒落なお店でもあり、落ち着いて話すことができました。共に行った人がどうしても落ち着いて話をしたかった女性(私が一方的に片思い中)でしたので、とても助かりました。

 

その次にはプロントに行ったのですが、やはり客層が違うといいますか、我々の後に来た、隣の席に座った人達が、女性二人組だったのですが、どうもヤンキーっぽい人で、携帯の話し声はうるさいし迷惑でしたが、それでも大好きな女性とともにとても素敵な一日を過ごすことができました。

 

やっぱりあれですね、大好きな人とお話しすることができれば、日常にて度重なる不幸など小さなことのように思えてきますね。