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神々の黄昏

「超人男」が感じた意見ダダ漏れブログ

いわゆる知識人と呼ばれる人たち

ツイッターやっているんだけど、そこでよく大学で働く人たちとか、評論家(批評家?)とかジャーナリストと呼ばれる人たちのツイートが流れてくる。

 

大体こういう「頭がいいことが予想される人」とか「知識がない人たち、情報を持っていない人たちに情報を与える人たち」、嫌な言い方をすれば「啓蒙することに情熱を持つ人たち」が、先の人質事件で、どうも論点がずれた分析や、論理を無視した言説をしていることがやたら気になった。

 

これは単なる傾向なんだけど、こういう「自称・知識人」はその論理の破綻や、説得力のある反対意見を言われた時には自分の非を認めることはない。あったとしても極めて少ない。

 

知識人としてのプライドとか、商売に差し支えることがその主な理由だと思うが、自分の頭から出した答えに全面的な信頼性を持っていて、その考えと反対の考えの持ち主は「自分が啓蒙してやるべき残念な頭の持ち主」という考えを持っているんだろうね。

 

大学の研究者ほどデータや原典に忠実で無ければならないし、説得力のある反対意見は必ず考慮しなければならない。特に大学人としての責務だ。

ジャーナリストならば、べつに好き勝手言っていいわけでは当然なく、自分の意見がどこまで説得力があるのか、なぜ自分の意見が正しいといえるのかを示さねばならない。

 

「自分の意見が絶対で、人の意見は認めない」、そういう人と会ったり付き合わねばならない時が私にもあったが、こういう人は一回痛い目に合うか恥をかかねばわからないのだろうか(ショック療法)。